金曜日, 5月 14, 2010

新訳であけたりしめたりあけたりしめたり あけたり

亀山さんの新訳で、ドストエフスキー『罪と罰』読みました。

物語にひっぱられて読んでいたはずなのに、
しまいには、私の中にひそんでいる「悪」が、
物語をひっぱっているかのような、そんな感覚になりました。
最後の最後で、2回ひっくりかえされます。
「ひっくりかえされた」と感じたのは、
私の中に「悪」があったから。

少し前のこと、菱木晃子さんの新訳で、
『ニルスのふしぎな旅』を読んだ時、
最後、泣いてしまいました。

もちろん物語に感動したのもあるけれど、泣いたのは、
私の中(心)の汚れているものを、はっきりと自覚したから。

『罪と罰』は「悪」の方向から、『ニルス・・・』は「善」の方向から、
心の奥の奥に、いつのまにか入ってきます。
そして私は主人公であるラスコーリニコフになり、ニルスになって、
扉をあけたりしめたりあけたりしめたり しているうちに
自分の知らない自分にうっかり会ってしまい、
驚いたり確認したりするのです。